2014年9月14日日曜日

中井貴一さん 鎌倉市国際親善観光大使だった。

2012年のドラマ『最後から二番目の恋』で鎌倉市役所観光推進課課長

http://www.kamakura-info.jp/recommend/04_interview


鎌倉はルーツ。大船に松竹撮影所があって、撮影所の真ん前で母の実家が食堂をやっていて、そこで母と父(俳優・佐田啓二さん)が出会って、恋に落ちて、結婚した。それが全ての始まりなんです。


原節子さんとか、みなさんシニョンの髪型 あれは 母親の髪型
父も母も、もともとは京都出身父は二階堂
2歳半のときに父が亡くなり、お墓は円覚寺


家は世田谷で 長嶋さんが近くに越してきたきたというエピソードも。


ウィキには  鎌倉の話は親善大使になったということしかでていないですね。
小津安二郎により「貴一」と名付けられた http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E8%B2%B4%E4%B8%80


木下恵介
オズ安二郎
さんが仲人


中居寛一  


フリーマガジンより
松竹大船撮影所の近くににはいくつかの食堂
和食の月ヶ瀬 松尾食堂
洋食のミカサ
蕎麦の浅野屋
軽食のグルーメ
居酒屋のような 松竹ホール
中華のこみや飯店

通称 でぶそば と呼ばれた屋台

月ヶ瀬は 小津安二郎の根城で 店は母娘の二人
気立てのよい 娘は 益子ちゃんと呼ばれ小津監督のお気に入りだったが
佐田啓二さんと結婚して月ヶ瀬は閉店
中井貴恵さん 中井貴一さんが生まれる

2016年10月19日 TOKIOカケル より
お父さんは39歳で亡くなる 39歳までは結婚しないと決めていた
40になったときに 吹っ切れた その誕生日は中国で一人で迎えたとのこと

お母さんは食堂の娘で小津安二郎のお気に入り
その後 お父さんがお母さんと仲良くなり
どうすんだと
二人でいるときに 先生が来る時間に お父さんが裏口からでていった

仲人は
小津安二郎と木下惠介(大映映画監督 代表作 24の瞳)
両方とも奥さんはいなかった
女の子がうまれたら木下先生が名前を付ける
男の子がうまれたら小津先生がつけるということで
名前を付けてもらった

小津安二郎さん最後の写真は
中井貴一さん1歳の時
60歳の小津安二郎さんと お母さんのスリーショット




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