7月29日で終了 約1億5千万集まる 申し込み多数で一部 返礼品が足りない事態に。
世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー(法隆寺 2022/06/15 公開) - クラウドファンディング READYFOR
聖徳宗総本山法 隆 寺 〒636-0115 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1
法隆寺では、クラウドファンディング 令和2年度以来のコロナ禍における参拝者の激減
世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー(法隆寺 2022/06/15 公開) - クラウドファンディング READYFOR
来年、世界文化遺産登録30周年を迎えるに当たり、本年度より経費削減のために先送りに致しておりました境内整備など、徐々に着手することと致しました。矢田丘陵の麓に建立された歴史遺産法隆寺を、その環境とともに将来へ向けて引き継いで行きたいと思っております。この度、私どもの力不足により、皆様方にご支援をお願いすることとなりましたが、どうか御理解の上、御協力賜りますようお願い申し上げます。
●供養札 ご支援をいただいた方のお名前を書いて、百済観音像(飛鳥時代、国宝)の足下にある奉経室に納めさせていただきます。 寺院では勧進と云って、仏堂の建立や仏像の造顕や修理などを行うために、多くの人たちの協力を得て行う事業があります。その事業に協力した人たちの寄捨結縁を示すのが供養札です。また財力がなくても分け隔てなく簡単に行える像造供養のひとつに、仏・菩薩等の姿を紙に捺した印仏があります。今回の供養札には、平安時代の印仏(千体仏の一体)をいただいております。皆様方の善行功徳を記した供養札は、大宝蔵院百済観音堂にお祀りする百済観音像の足下にある奉経室に納めさせていただきます。 ●限定御朱印 法隆寺のご本尊、金堂の釈迦三尊像を梵字で顕した御朱印です。文字は光背の裏面に刻まれた「尺寸王身釋像」、聖徳太子と同じ身丈の釈迦像であるという意味です。 聖徳太子がご病気になられたときに、そのご病気の回復を願って聖徳太子と同じ身丈の釈迦像を止利仏師に造らせた、しかしそれが叶わないときは、浄土に登り早く妙果を得られるように、という願いなどが光背の裏に刻まれています。結局、聖徳太子はこの像が完成する前にお亡くなりになり、この釈迦像は聖徳太子ご自身として、篤く信仰されることとなります。 ●御朱印帳(限定御朱印入り) 聖徳太子「十七条憲法」第一条の版本(鎌倉時代の板木、重要文化財)を扉に印刷した法隆寺オリジナルの御朱印帳です。 ●散華 法要の際に仏を讃嘆し供養するために撒く花で、蓮弁形の紙に図柄などを施して作ったものです。 散華 再興100年「和」(3種3枚組) 明治維新によって退廃した法隆寺が、再興に向けて法相宗独立の認可を得たのが明治15年。丁度、百年目にあたる昭和57年に、諸先徳の偉業を讃える法要を勤修。この散華は、その時に聖徳太子の「和」の字に、再興に功績のあった佐伯定胤和上と佐伯良謙和上の「和」の字を加えて作成したものです。 散華「1360年」安田靫彦画伯・前田青邨画伯・平山郁夫画伯筆(木版刷り/3種3枚組) 昭和56年の聖徳太子1360年御聖諱法要用に、金堂壁画模写に功績のあった画伯に依頼して木版で作成した散華です。 散華「昭和大修理」吉岡堅二画伯筆(木版刷り/5種5枚組) 昭和9年から始まった法隆寺全伽藍に及ぶ大修理が昭和60年に完成。それを祝う法要用として、金堂壁画模写に功績のあった吉岡堅二画伯に依頼して作成していただいた木版の散華です。 ●赤膚焼 白ぐい呑 法隆寺伝来の「鳳凰丸」紋を器の見込みに模様としてあしらったぐい呑みで、高台脇に赤膚焼大塩昭山の落款が押されています。 ●特別拝観 平素公開していない上御堂(鎌倉時代、重要文化財)の堂内などを含め、寺僧がご案内いたします。 ●寺僧による法隆寺の特別案内・奉納鏡奉納 重要文化財指定の西園院客殿にて、松喰鶴の図円鏡(平安時代後期)の複製に願いを刻み込んでいただき、奈良時代の創建と伝えられる西円堂のご本尊「国宝薬師如来像」に御奉納いただきます。続いて寺僧が境内のご案内もさせていただきます。 日本における仏教寺院への鏡の奉納は、仏教が伝わった頃から行われていたとされ、奈良時代の『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』にも鏡の奉納記録がみられます。また鏡は仏舎利を塔に奉安するときの荘厳具としても使用され、法隆寺五重塔にも埋納されています。法隆寺の西円堂では、本尊の薬師如来(奈良時代、国宝)に除病延命や身体の健全など、現実的な加護を願って多くの鏡が奉納されております。このように鏡は、自らの願いを託すものとして、特別な扱いがなされて来たといえます。このたび御奉納いただく鏡は、西円堂に奉納された日本製の鏡「和鏡」の中で最も古い、平安時代後期の松喰鶴の図円鏡の複製となります。 ●古材台(焼印入り) 法隆寺の主要建造物の創建当初の部材ではなく、各時代の修理において付加された木材で、昭和の大修理の際に取り除かれた廃材を台として加工したものです。裏に法隆寺の古材であることを示すために焼印を押しています。 ●南無仏太子像(博多人形) 聖徳太子が二歳の春に東向いて、「南無仏」と唱えられたという説話に基づいて造顕された像で、平成3年の聖徳太子御忌の記念品として、博多人形師中村信喬先生に作成していただいた像です。台座に古材を使用しています。 聖徳太子が二歳の春、2月15日のお釈迦様涅槃の日に東向いて「南無仏」と唱えられた時、合掌された手中から舎利が現れたという説話に基づく像。平成3年、聖徳太子がお亡くなりになって1370回忌に当たる御忌法要の記念品として、当時、日本工芸会正会員人形師の中村信喬先生に作成いただいた像です。台座には、かつて法隆寺の建造物に修理用後補材として使用されていたが、昭和大修理において取り除かれた古材を使っています。 ●百万塔(複製) 奈良時代に造塔の功徳を願って、称徳天皇が発願された百万塔を、同じ材質の桧で同じ大きさに作製した模造。底裏には法隆寺の焼印を押しています。 天平宝字八年(764)に藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱を鎮圧した後、称徳天皇が発願して三重小塔百万基を造らせ、十大寺に十万基づつ納めたのが百万塔です。これは造塔と陀羅尼の書写によって、延命や滅罪等の功徳を願うもので、塔の中には、その功徳を説く『無垢浄光大陀羅尼経』が納められております。伝存したのは法隆寺だけで、四万六千基余り保管しています。 ●侍者像(複製) 五重塔初重東面に配置された塑像(国宝)の中の一体で、昭和57年に就任した当山管主の晋山記念の品として制作された模造です。 五重塔の初重内部は、心柱の四隅に立つ柱を囲むように塑土で須弥山を洞窟状に築き、東西南北の四面に和銅4年(711)に造顕された塑像の群像を配置して、仏伝世界を表しています。その東面は、『維摩経』に説かれる維摩詰の方丈での問答の様子を、維摩詰と文殊菩薩の像のほか、二菩薩と十二体の侍者像などによって表現しています。この侍者像は、その十二体の内の一体です
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