2015年3月22日日曜日

鎌倉 明月荘 が全焼とのこと

3月22日未明、
神奈川県鎌倉市の戦後を代表する歴史的古民家が全焼する火事があった。  警察と消防によると、22日午前3時半頃、鎌倉市山ノ内の古民家「明月荘」で火事があり、木造平屋建ての母屋と茶室の2棟が全焼した。火は約2時間半後に消し止められ、ケガ人はいなかった。  「明月荘」は1946年に建築された、広大な和風庭園と茶室のある戦後初期を代表する貴重な建造物。「明月荘」の保全に取り組む団体によると、建物は近年、老朽化が進み、閉鎖されていたが、一般公開できるよう周辺住民や諸団体によって修繕作業が進められていたという。  警察は詳しい出火原因を調べている

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150322-00000013-nnn-soci


北鎌倉明月荘
http://meigetsuso.sitemix.jp/
●所在地     鎌倉市山ノ内234(明月谷の最奥部)
●敷地面積   約12,064m2
●建設年     昭和21年(1946年 棟木に上棟時の幣串が釘打ちされ、
           表面に上棟、裏面に昭和21年8月吉日とある。最初の
           登記は翌22年8月16日、石橋又義氏による。)
●設計・施工   不明
●構造・規模   主屋・茶室とも木造平屋、和小屋組
          主屋;延べ面積242.37㎡(73.32坪)
          茶室;延べ面積 16.86㎡(5.10坪)
●屋 根      主屋;切妻(一部寄棟)  桟瓦葺き(一部洋瓦葺き、亜鉛引き鉄板一文字葺き)
          茶室;切妻、桟瓦葺き・亜鉛引き鉄板一文字葺き
●外 壁      主屋;簓子下見、一部モルタル塗り・漆喰塗り
          茶室;土壁、一部腰壁に杉皮張り
●基 礎      主屋;コンクリート布基礎
          茶室;玉石基礎

明月荘の歴史
●明月荘のある場所は、もともとは明月院の土地であった。
●大正14年 明月院が売却
●昭和13年に転売
●昭和21年に住宅建設のため石橋又義氏が購入、8月上棟
●昭和22年8月16日付建物登記面積59・5坪(196.69㎡)
●昭和28年、昭和32年に土地の所有登記に変更があるが、昭和32年刊行の「大衆人事録 第十九版」によると
  石橋又義氏の住所は「鎌倉山ノ内234」
●昭和37年に一部取壊しで建物面積57・6坪(190.41㎡)
●昭和41年3月に石橋又義氏東京白金三光町へ住所移転登記
●昭和42年に売買
●昭和46年3月に財団法人神奈川県開発公社の所有
●昭和53年5月に神奈川県公園整備用地として取得、至現在
●昭和55年4月から鎌倉市市民学習施設の利用(県から借用)
●平成22年7月末日で閉鎖

鎌倉市都市景観課の調査
・昭和33年に西端八畳と南面廊下西側部分を増築
・昭和37年に東側八畳の入側と三畳水屋などを増築
・昭和40年代前半にボイラー室と西の北側廊下などを増築
・昭和55年に鎌倉市建設部営繕課の改造修繕

施主である石橋又義氏(1905-1989)
・明治38年12月18日に長崎市で生まれ、長崎高等商業中退
・昭和9年に兄と飯野汽船の雑貨集荷代理店 石橋兄弟商会設立
・昭和14年株式会社に改組、18年に関東運輸・都商事運輸・藤村回漕店を買収 東昭海運創立、24年に東昭海運倉庫と改称
東昭海運倉庫は東京油槽倉庫株式会社、現東京油槽株式会社

明月荘の建築的特徴
・敷地の北寄りにほぼ南(南南西)を正面として建つ。
・中央東寄りに玄関とホールのような廊下。その西側は南面した六畳+八畳・八畳の日常生活空間、北に六畳和室、台所、
浴室、便所などのサービス空間を配した中廊下型。東側にテラス付洋室と入側付八畳の接客空間。
戦前の生活文化を受け継いだ戦後直ぐの住宅である。
・上記のように西端8畳と廊下は増築。入側付8畳は改装。
・入側付8畳は床柱・落とし掛けに珍木が使われ、天井は網代で数奇屋風。現在、茶炉が切られて室として使われている。
当初は離れのように用いられていたか。
・主室となる6畳+8畳を始め、総じて質実な意匠である。
・別棟の茶室は畳床付3畳台目、3畳の水屋、外部物入。
昭和37年頃に京都の大工によると伝わる良い茶室である。
・庭園 石灯篭7基、石造13重塔1基、鉄灯篭1基、井戸2

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